SとMの割合 ~ Sである自身の中にM性も存在するということを呼吸制御&快楽責めで意識する
こうした〝ゆえ〟への責めを小さな
子どもの頃から夢見ていた〝Y〟
あなたはSですか?それともMですか?
こんな質問をされると躊躇することなく「Sです」と答えるのだけれど、実は即答するには少々違和感もある。
以前も触れたことがあるけど、自分の中にMの嗜好もわずかながらあるのではないかと思うんだ。
実際、様々な愛好家たちのSMについての証言を読んだり聞いたりする中で、両方を持っているという人の話は多い。
自分自身の事を正確に言おうとすれば「95%くらいSですが、5%くらいはMも入っているかも……」というのが正直なところ。
前回書いた呼吸責めというのは、まさにそれを認識することだと思う〝Y〟。
どういうことかと言うと……。
もともと呼吸器を使った呼吸制御(責め)に目覚めたのは物心つきはじめた幼稚園の頃。以前も書いたように、その頃見たテレビ番組でウェットスーツに身をつつみ、アクアラングを装着した男性が水槽に閉じ込められ、そこから脱出するというのを見た時に、猛烈な興奮を覚えたんだ。
それ以来、自分が同じ事をされている想像をずっとしていた。
もちろん、まだ性に目覚める前。
そのうち小学生になると、そんな想像をしていると性器が勃起することに気付いた。
やがて性の目覚めとともに、自然と自分ではなく、女性がそうした状況にされる想像をして興奮するようになっていた。
なぜそこで転換が起きたのか……。性の目覚めと共に、男性である自分自身がそうされるのは「美しくない」と思い始めたのだと思う。そして美しい女性が同じ責めを受ける姿を想像することで、性の欲望をふくらませていたんだね。だから、その女性には密かに自分自身が投影されている……、そうとらえることも出来ると思う。
その女性は自分好みでなくちゃいけないのも、そうした理由。
だからこそ〝ゆえ〟を見つけた時には、ものすごく呼吸制御をしたくなったのだと思う。
そして実際にそれができたときの感動はそれまでになく大きなものだった。
だって、性に目覚めてからだけでなく、もっと前、物心ついた頃からの夢がようやく叶ったわけだから。
そして、それは呼吸制御に限らず、他のいろいろな責めにも当てはまる。
快楽に落ちていく奴隷の姿を見て、そこには自分がそのようになりたいという潜在的な意識を感じ取ることもできる。奴隷が全身を拘束されてイキ続ける姿に自分を重ね、満足する……。そんな見方もできる。
そして、たとえ5%であったとしても自分の中の隠れたM性があるからこそ、相手を責める際に、それが活きてくる。つまり、どうすれば相手が喜ぶのか、どうすれば相手を興奮させることができるのか、どうすれば、より相手の快楽を大きくできるのか……、それを探求する自分はそうしたM的な意識があればこそだと思うんだ。
もちろん、異論もあると思うけど、〝Y〟はそんなことを考え、日々の責めを愉しんでいるよ。
皆さんの中にも似たような感覚を持つ方がいらっしゃるんじゃないかな。