フェチというのは性癖とは切り離して考えた方が良いのだろうか?


〝ゆえ〟のこうした姿が「ささる」という

フェティッシュな性癖の不思議……

このブログをいつも読んでくださっている方々はフェチシズムの性癖を持っていらっしゃる方が多いと思う。だって、〝Y〟自身がフェチの要素をいくつか持ち、記事もフェチ要素が満載だからねぇ。

レザー、PVC、ラバー、猿轡、拘束具、全頭マスク、スキューバ、ヘルメット、水着、手袋などなど……

最近思うのはこうしたフェチは本当に「性癖」と言えるのかどうかということ。

以前も少し触れたことがあるけれど、〝Y〟が初めて自分のフェチを自覚したのはまだ保育園の頃。当時テレビ番組で見たマジックショー。アクアラング(スキューバ)を装着した全身ウェットスーツ姿の男性が手足を縛られて水槽に入れられ、そこから脱出するというもの。おそらく初代の引田天功じゃないかと思う。その姿を見て、頭の中が真っ白になるくらいのショックを受けたこと。

それが成人してからも続くのだけど、思春期の頃から、そうしたフェチなものを身につけるのが自分自身ではなくて(それも興奮はするけど)、その対象が自分の好きなタイプの女性にと変化したんだよ。

それが今の自分のSMライフの根本となっている。だから、もしかして、「性癖」のように見えるけど、実は「性癖」とは本来別のモノかなぁ……と思い始めたわけ。

もっとも人間は幼少期にもある程度の性欲はあるから、やっぱり「性癖」なのかな。

いや、「性癖」であるのだけど、本来の性欲とは別であって、それが性欲と一緒になったときに、その性欲がさらに高まったり、満足したりする「エンハンサー」となっているということかなぁ……。

料理に味付けする調味料だったりトッピングだったりとも言えるのかもね。

そんな面倒な事、考えずに楽しめばいいじゃん!と言えばそれまでだし、自分もそう思うけど、人生、これだけ長く自分のフェチと付き合ってくると、なんとなく、突き詰めて考えたくなることもあるんだよ。

それともう一つ不思議に思うのは、あれほど若い頃から恋い焦がれたフェチの数々、一度体験してしまうと、その焦がれ方が若干弱まるような場合がある。上記のうち、アクアラングなどは、子供の頃何度も夢見たけど、実際に大人になって体験してみると、それほどの強烈な飢餓感がなくなった。もちろん、まだ興奮はするんだけどね。

こうしてみると、フェチの中には「憧れ」もあって、それを実際に体験することで渇望感が「和らぐ」場合もあるということかもしれないね。これについてはいつかあらてめて書いてみたいと思うよ。



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