スクールみたい…、ん?制服が?いや、そうではなくて…。
十字架に磔させられたセーラー服の〝ゆえ〟
これからの責めへの期待に
あるとき、〝ゆえ〟がこう漏らしたんだ。
「御主人様とこうして定期的にお会いしていると、不思議な気がいたします。まるで、カルチャースクールで生け花や茶道などの習い事を始めたような…」
この感想には、思わずニヤッとして、膝を打ってしまったよ。
そう、カルチャースクール的な、〝Y〟の「調教スクール」。
昨今は都市部ではどの地域にもカルチャーセンターのたぐいがあるよね。そして、その内容も多岐にわたっている。ヨガやダンスなどのスポーツ系もあれば、生け花や茶道などの伝統系。英会話などの語学系、そして、ピアノやカラオケなどの音楽系。
ところがよく考えてみると、こうしたカルチャースクールに、なぜかないのがセックス系。
「オーガズムの上手な得方」とか、「SM講座初級」、「緊縛講座」、あるいは「ご主人様講座」なんてのがあってもいいよね。あ、ご主人様講座に関してはそういう名前のすてきなインターネットのサイトはあるけどね。あとは、「革責め具製作講座」なんてのもあっていいかなぁ…。ま、それは置いといて…。
全身を目一杯、ピーンと張られて
〝Y〟は若い頃、一時的に学校の先生をしていたことがある。だから人に教えるというのは得意なほう。
今までSMの経験が全く無かったという〝ゆえ〟にたいして調教していくというのは、まさに先生が生徒に教えていくようなものだしね。
でね、〝ゆえ〟の言葉がオモシロイのはそのタイミングなんだ。
実は、その発言がセーラー服を使ったコスチュームプレイと相前後した時期だったということ。
このあたりは以前こちらに書いたけど、これが楽しい!その後もセーラー服を着せてのプレイは2度ほど行ったけど、毎回、新鮮さがあるんだ。
特にアルファインでの時は楽しかったなぁ…。セーラー服姿で檻の格子を掴んで遠くを眺めている姿にも萌えたし、座らせて鏡越しにフェラをするのも…。
あ、セーラー服の話じゃなかったね。そんな〝ゆえ〟から出た「スクール」発言。なんだか、うれしくなっちゃったので…。
そもそも「カルチャー」スクールは制服を着なくていいんだから(爆)。
で、話を元に戻すけど、実は〝Y〟は毎回のプレイでは会う前にテーマを決めているんだ。持っていく責め具の関係もあるしね。さらに言えば、割合長期的に、いつごろどういうプレイを進めていくのかも決めている。そう、「学習指導要領」のSM版と言えるものを持っているし、それを基本に〝ゆえ〟の調教を進めている。結構真面目でしょ?だから、スクールというのもまんざらハズしているわけではないんだよ。
たとえば、次回のプレイでは言葉責めを中心に行おうとか。2ヶ月先でロウ責めをしようとか、あるいは、半年後にはラバーをしようとか、かなり計画的なんだ。〝Y〟のメモには、今後行うプレイの予定がびっしり書かれている。
セーラー服と淫具のコントラスト
とはいえ、生身の二人。そのときの体調や気分で予定を変更することもあるし、それはそれで、臨機応変にプレイを変えていくというのも楽しいものだよ。
でも、毎回終わる度に「ああ、ついにこんなことも出来ちゃった!」という進化が感じられるのは嬉しいモノだよね。
だからこそ、カルチャースクールに通っているような気持ちになるのかもしれないね。
それと、〝ゆえ〟の進化だけでなく、自分自身についても、徐々に進化していければと思っているんだ。まだまだ「へなちょこS」である〝Y〟。今は一生懸命勉強している。すこしでもSとして進化して〝ゆえ〟を喜ばせたいしね。それに、Sというのは一生かけてもゴールのない勉強でもあると思っているから。もちろん楽しいお勉強なんだけどね!
ところで、街のカルチャースクール、本当にセックス講座なんてあればいいのにねぇ。性は秘め事ではあるけれど、神様からの素敵な贈り物。セックスレスが問題になるこの時代、性をオープンに語って、より良き性生活をみんなが楽しめるようにするのって大事だと思うんだけどなぁ…。
セーラー服をはだけさせられて悶える〝ゆえ〟