奴隷が放心状態になっている姿を愛でる
〝ゆえ〟のこの姿に充実感を覚える〝Y〟
〝ゆえ〟との調教で毎回快楽責めを行う〝Y〟。
〝ゆえ〟は何度も何度も、繰り返し繰り返し絶頂に導かれ、へとへとになってしまう。それでも快楽責めの手を緩めない〝Y〟。
十字架に架けられた〝ゆえ〟は崩れ落ちてしまう。
そして、しばしの休憩を与え、再び全身拘束して快楽責めを行う。
〝ゆえ〟、気も狂わんばかりに叫び続ける。そしてもうこれ以上イキ続けるのは苦しいと、全力を振り絞ってあらがうけれども、無駄。
結局、再び精根尽き果てて、体はもはや微動だにしない。
ベッドの上で、物のように転がる〝ゆえ〟。
それをじっと眺めるご主人様。
実はこの瞬間が最高に好きな〝Y〟。
思わず写真を何度も撮ってしまう。
あるとき、撮りためた写真を〝ゆえ〟と一緒に見ていたら、こうした写真が多いのを不思議に思ったのか、〝ゆえ〟が尋ねてくる。
「ご主人様、転がっているだけの〝ゆえ〟なのに、なぜこんなに多く写真を撮られるのですか?」
そこで、説明。とりあえずは納得してくれた〝ゆえ〟。
うーん、この感覚って、やっぱりSだけにしか、なかなかわからない感覚だろうねぇ。
説明するとなると、えーっと、何に例えればいいんだろう?
例えば……、
獲物を仕留めた猟師のような充実感?
料理が最高にうまく出来た時のシェフの満足感?
長時間かけた仕事のプロジェクトが完成した時のチームリーダーの充実感?
いやいや、どれも似ているようで違うなぁ……。もっと大きい何か……。
それがSMというものの不思議さなんだよねぇ…。
って、なんだかわわかりにくいよね。
SMの喜びはたぶん、もっと先に何かあるんだよ。
おそらく2人の人間が瞬間的に作り上げる奇跡の化学反応のようなもの。非常に高度な精神と肉体両方のコミュニケーションによって成り立つ満足感という感じかな。ん?それもわかりにくい?
しいて簡単に言えば……、「SMプレイならではの満足感」というしかないかな…!(笑)